浄運寺のお内仏・阿弥陀如来立像 —織田顕行—

imgp3902 浄運寺お内仏の阿弥陀さまは、いわゆる「安阿弥様(あんなみよう)」を想起させる、とても洗練されたお姿の阿弥陀如来像です。
「安阿弥様」というのは、鎌倉時代の仏師快慶が手がけた仏像の作風で、なかでも三尺程度(1メートル弱)の大きさの阿弥陀如来像は、江戸時代に至るまで大きな影響を与え、仏師たちの手本となりました。快慶は奈良の東大寺復興に力を尽くした俊乗房重源を中心とする念仏集団のもとで「アン(梵字)阿弥陀仏」を名乗る念仏衆のひとりでもありました。さらに快慶工房の造像活動は、法然上人のもとに集まった浄土教団との関わりがあったことが指摘されており、多くの浄土宗のお寺で「安阿弥様」を継ぐ本格的な阿弥陀如来像が確認されています。
本像は、像の高さ約82センチ、ご本尊の阿弥陀さまを上回る大きさです。細かい部分の仕上げも丁寧で、胸元の着衣形式などは12世紀末~13世紀初頭の慶派、とくに快慶がまだ若い頃の作例に酷似しています。「慶派」とは康慶、運慶、快慶というように「慶」の一字を継承する奈良仏師たちの学術上の呼称です。しかし、細く抑揚のない小さな眼、反りが強く穴の大きい耳たぶの表現は、慶派の作風と少し隔たりがあるようです。また快慶作例の多くは足ホゾの部分に作者名が確認されるのですが、本像はそのホゾ自体が後世に補修されたもので、すでに制作当初の状況を確認できない状況にあります。本像が「安阿弥様」の流れを汲むお像であることは疑いのないところですが、その本流というべき快慶もしくはそれに近い時代の仏師が手がけた作例とは少し距離があるようです。
本像の伝来についてはまだよくわかりません。天正17年(1589)創立と伝える浄運寺無量院の本尊として正満菩提のために阿弥陀如来像がまつられていたとする記録もありますが、ご住職のご教示によれば「無量院」というのは浄運寺の末寺であった正満寺(長野市綿内)の院号であるとのことです。とすれば本像は浄運寺のお像として作られたのではなく、はじめ正満寺の本尊として作られ、何らかの理由で浄運寺にもたらされた、という可能性も浮上します。これを是とすれば本像の制作年代の下限は「無量院」の創立年、つまり天正17年(1589)となり、中世末期の快慶風の模古作とみることも可能になります。近世に制作された仏像の中には、鎌倉時代の仏像と見違えるような作例が少なからずあり、専門家でも判断に迷うことがあります。本像もまた制作年代の特定が難しいケースであり、現段階では鎌倉~安土桃山時代の作というとても大雑把な言い方で結論を先送りせざるを得ないわけですが、また後に楽しみが残されたともいえます。
このように、学術調査を実施したとはいえ、本像のすべてが明らかになったわけではありません。ここまではわかったけれども、ここから先はまだわからない、という状況です。しかし文化財としても貴重なお像であることは間違いなく、それまで何気なくお参りしていたお内仏に対する見方もこれから少しは変わるのではないかと思います。お寺にお参りの際、改めてお内仏もじっくりご覧になってみてはいかがでしょうか。

(飯田市美術博物館学芸員)